昭和46年04月16日 夜の御理解



 人間のそれぞれの持ち前と申しますと、昨日も私、或方が余りにも目に余る様な態度を取ったり、目に余る様なことを平気で、誰彼に言っておるのを聞いて、ああ云うことを注意をしとこかなと思って、神様から、もの言わぬは怖い、怖きなりという意味の事を頂いた。それを頂かせて貰ってから、やはり、もの言わぬ方が怖いのであって、もう自分の思うごつ、ぼろくそに言う人がありますよね。まあ人の心を、切り離す的な事を言ったりする人もあります。
 けれどもそういう人は矢張り心が良いとですね。自分の思う通りにぽんぽん言いいよるとですから。だからむしろもの言わぬ方が怖いんだと言う。そんな事を頂きましたね。ですからまぁそれが例えばもし注意しなければならないのならば、そのまま聞いておいて何か向こうにも気分よう入る時に注意をしたら良いんだな、むしろあれはもの言わぬよりも良いのだなと思わせて頂いたら、言わんで済んだわけですけれどね。
 お互いがそんな人がありますよね、よく、もう自慢にもならない事を、もうえらい自慢をしたりする人が、まぁそれを引きたいごたる自慢をする人がありますよね。ですから、そりゃもう腹が無いから、自分が、ついとは出て来る訳でしょうし、又はもう人の心を突くような、切る様な、刺す様な事でも、平気でポンポン言う人がありますけれど、そりゃやっぱ腹が無い人ですよね。
 ああたそげなこと言うてからと、言うのではなくて、腹が良いから、やはり言えるのですよね。腹の中に、じぃっとその、思うて、あの人はどうしてじゃろと、ち言うて、腹の中で笑うとる様な人が、やっぱあります。むしろだから、そういう、もの言わぬ方が怖いのだと言う。まあ明けすけにああして、言うておる人は、まだ腹が良いのだと。それでもやはり、お互い、信心させて頂く者同志でございますから。
 私共が、どういうところが出てくるか分からんけれども、お互い、ああ云うことではいけないぞと、注意し合えれる、含みごとを、作っておかなければならない事も事実ですしね。それで何時まで良いという事じゃない。ですから、ほんとにあの人は、何時も悪い人じゃないけれども、何か人の心を傷つける様な事を、何時も言うたりすると。だから、機会があったなら、言うて上げようと思うてもですね、その機会を作らない様な人がありますね。これがいよいよ困るですね。
 ですからお互いが、より向上して行かなければなりませんから、例えば自分の周囲に、目に余る様な態度を取ったり、言うたりする人の場合はです。あれは態度に取らんよりも、又は言わんよりも、あれは良い人だなと云う見方がある訳ですね。同時にそれが、人間としての生き方の上に、やはり注意でもしておかなければならんのなら、その時に注意するのではなくて、お互い気分がよか時に注意をしろと云った様な機会を作らせて頂くような話合をね、日頃しとかなきゃいけんと思う。
 私今迄ほんとにやっぱ、そんな人がありますけれども、そんなことを言うてからと云う様なことがありますけれども。それは腹が良い証拠だ、むしろそげなことしてからと思うて言わんよりも、まだその人は、心が良いと云うことになるんですね。そういう見方をさせて貰うと、見たり聞いたりしておっても、やはり楽でありますすね。